42歳。節目かもしれない。江戸時代に、金光教の教祖は、生きた。明治16年に亡くなるまで、いろいろなことがあった。その中で、「42の大患」という、九死に一生の大ピンチがあった。その当時、生命にかかわる「のどけ」という病気に罹った。それまでの十数年の間に、長女、次男、飼い牛2頭を含め、七つの墓を築かねばならなかった。皆は『金神七殺の祟り』と恐れおののき、親族や知人が枕元に集まり、病気が治りますように、と祈願した。すると一人が神がかりになり、「普請、転居に附、豹尾、金神え無礼いたし」と、つまり、家を建てるときに、金神様の方角に失礼があったと言われた。教祖(文治)は、何が原因か分からないながらも、許しを請い、病気はやがて全快した。この時とくに神様を感じたという。その後、教祖46歳の時、「実は42歳の時に、命がないところを助かったのだから、その時死んだと思うて、欲を放して、世の中の困っている人を助けることに専念してくれ」と神様から頼まれた、という伝えがある。死んだ気になって、という境地。自分に置き換えてみると、今、42歳。いくつまで生きるか分からないけど、昨年、もう死ぬかも、という危機から生還して、今がある。人間、死んだと思えば大概なことは出来る。しかも、自分は今、神様に向かって、人の助かりを願いながら過ごす中、だんだんだんだん心も状況も助かって来ている。節目ってあるんじゃないかなぁ。世間では、数え年で42歳は、厄年というけど、金光教では、お役に立つ年、役年、という。転機かな?何ごとも、自分でする、自分がする、というより、どうぞ使ってください、と、させていただく心になれれば、整うのかも、と、大患を通して気付かされた。