ヒロシマの記憶

ある穏やかな日の夕暮れ

ヒロシマ、とカタカナで書くと何故か戦争や平和のことな結びつくようなイメージになる。今年もこの朝が巡ってきた。オリンピックを平和の祭典とするなら、この日本での8月が世界に向けてどういう意味があるか、思いは様々なのかもしれない。修学旅行で行った広島は、たしか晴れた日だったように記憶している。ここが、火の海だったとは思えないほど復興していた。バンドをやっていた友人が、夏になると原爆ドーム前に行って演奏していたらしい。その友人たちにとって、そこは特別な場所で、きっと、見えないけれど、いろいろな想いが交錯する街なのかもしれない。戦争を知らない子どもたちが、大人になり、戦争を知らない孫たちも生まれ、戦争を知らないひ孫たちも平和の中で生きていることを思うと、なんだかんだで今の日本は、先人たちの残してくれた素敵な国のように思う。異論はあれど、平和な日本が、戦争や紛争のさなかにある世界に平和の喜び、大切さを訴えていくのは、使命のようにも思う。語り部という時代の目撃者の方々の記憶は、ひ孫たちにどう伝わっていくのだろうか。コロナ禍に、われ思ふ。かく云う自分も、この日にキチンと身を正して祈りの黙とうを込めたのは、今日が初めてだったかもしれない。

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